中小企業診断士を目指した理由③<企業経営の大変さと成功経験>

今年も中小企業診断士の一次試験が真夏の8月4日、5日に実施されます。
自分が受験した時を思い出すと、今頃は延々と過去問を解いて暗記するの繰り返しでした。
目次
実際の中小企業の現場での体験
本格的不景気の入口
私が社会に出たのは1998年です。
Wikipediaによると、2月に長野オリンピックが開催され、4月には明石海峡大橋が開通しました。6月に金融の安定化を図るため、金融庁が発足、7月に橋本内閣から小渕内閣へ。8月は松坂大輔投手が甲子園の決勝戦でノーヒットノーランを達成してます。
ただ、世の中は前年の1997年に消費税引き上げ、アジア通貨危機、山一証券、北海道拓殖銀行など大手金融機関の経営破たんなど景気がいよいよ本格的に悪くなり始めていました。
入社して、右も左もわからない状態なので、景気が良いのか悪いのかは実感としてはわかりませんでした。売上も下がっているし、取引先のどこかしらが倒産をしている状態、これが正常なのか異常なのかの比較ができないので、「世の中こんなもんなんだ」と思っていました。
相次ぐ不幸
勤め先は兵庫県で、メインバンクは元々兵庫銀行だったようです。
しかしその兵庫銀行が1995年に戦後初となる銀行破綻をうけ、色々と微妙な状態となっていました。
その破綻した兵庫銀行の受け皿としてみどり銀行が発足しますが、1998年に経営危機が表面化します。
メインバンクの二度にわたる経営悪化の影響を受け、貸し渋り貸しはがしが厳しくなり、資金繰りも悪化しました。
また、その他にも不幸が続き、いきなり経営危機と呼ばれる状況に身を置くこととなりました。(経営危機を乗り越え、現在でもしっかりと営業しています)
私は入社一年目でしたが、入社してすぐに主任が退職をしたため、そのまま業務を引き継ぐこととなり、日々の経理処理や資金繰り表の作成などを行いました。
一年目にして会社の全てのお金の流れがわかるポジションとなり、色々な経験を積むことができました。
この経験が、中小企業診断士の資格取得を考えるきっかけとなりました。
利益を出すにはどうすればいいのかを自分なりに考える
会社自体は黒字でしたが、バブル期のツケもあり返済が多くて資金繰りが厳しい状態が続きました。
どうにかして会社が儲かってくれなければ自分の給与も上がりません。
しかし自分はまだ入社して間もなく、ましてや営業のように努力して稼ぐこともできません。
どうすれば会社は売上を伸ばして、もっと利益を出せるのか。
どうすれば効率化されて利益を残せるのか。
こんなことを思いながら、少しづつ日経新聞や経済雑誌、経営の本を読むようになりました。
そんな時、工場の経理担当も兼務することになりました。
工場には元々経理担当者がいましたが退職をするということで、人件費削減も兼ねて補充なしで現在の人員で業務を行うこととなりました。その業務を私が引き継ぐこととなりました。
製造と販売の対立を解消させる
製造業ならよくある話と思いますが、働いていた会社も製造部門と販売部門も仲は良くありませんでした。
第三者からみれば、これほどバカバカしい話はありません。
建設的に、会社の繁栄のためにお互いに協力すればいいところを反目しあっているわけですから。
経理部はどちらの意見も中立的に聞けます。
営業には営業の言い分、製造には製造の言い分。
工業の経理担当となったとき、まずはこの対立の解消を図る事にしました。
当たり前のことをする
では何をしたのかと言うと、双方の言い分を聞きながら、しかし最も不満に思っていることの解消にむけて動くことにしました。
最も不満に思っていること、これは営業も経理もその他の部署も関係なく、繁忙期になれば工場の製造要員として休みも関係なく、また、平日の終業後にも働くことでした。
製造側があらゆる手段を使って製造側だけで問題を解決しようという姿勢があれば、そこまで不満に思いません。
しかし、当時は昔からの慣習で「繁忙期で出荷をするために、社員全員で製造の作業をするのは当たり前」となっていたので、はじめから製造側もアテにしていた事です。
もしこの不満を解消することができれば、営業はもっと営業活動に時間が割け、前向きに業務に取組むのではないかと思ったので、繁忙期でも製造作業をしなくても済むことを目標にしました。
まずは製造責任者の説得から
私自身は中立な立場と言いながらも、工場の経理をしています。
そこで、まずは工場の単体の損益を製造部内で共有するところからはじめました。
これまで部門別会計を行っていましたが、単体での損益に対して責任を持つわけでもなく、そもそも損益計算書の読み方も知りません。
そこで、月に一回、部門別の試算表が出た段階で、工場としてどのように利益を出さなくてはならないかを、損益計算書の読み方を伝えながら始めました。
月に1回の会議では時間も足りなかったので、週に1回、工場の主要な社員を集め「利益を出すにはどのようにすればいいのか」を議論しました。
はじめは「なんでそんなことをペーペーのお前に言われる筋合いがあるんだ」と思っていたようです。しかし、何もしなければ会社は衰退しますし、そもそも従業員の給与は増えないし賞与が出せなくなりますので、何度も何度も繰り返し説くことにより、徐々に心を開いていってくれました。
営業に売ってきてもらわなければ工場は儲からない
損益計算書の見方から始まり、原価計算の取り方などいろいろと話をしながら、「結局は営業に売ってきてもらわなければ工場は儲からないんだ」とわかってもらえるようになりました。
自社の営業以外に販路があるのなら別ですが、販売先が営業しかいないのであれば、工場にとっては社内の営業員がお客さんです。
そこでようやく、営業に売ってきてもらうにはどうすればいいのか?と製造部全員が考えるようになりました。
過去最高益の達成
製造部門の人たちで、毎週深夜まで会議をしていました。
今の時代から言えば完全にブラック企業となるのでしょう。
しかし、その時はみな、業績の改善に向け一つにまとまっていました。
そんな中、ある一つの製造品が有望であることが分かりました。
毎月の出荷額が伸びているのです。調べてみると、ある販路を営業が開拓していました。
そこで我々は、5つの製造ラインのうち2つを専用ラインとして、さらに他の営業部員が販路を開拓しやすいように仕切値を抑えました。
目論見通りどんどんと商品が売れていきます。
製造も出荷遅れが無いように、製造ラインを増やして重点的に生産します。
そうこうしているうちに、その年は過去最高益を達成しました。
どこの部門が偉いという事ではありません。
売った人も、作った人も、原材料を調達した人も、みな頑張ったから結果が出たのです。
この時の体験は、大きな自信となり、また、みんなで知恵を絞れば何とかなった成功体験として刻まれました。
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末信 公平

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